東日本大震災による被害を受けた地域での無償アロマケア活動チーム“COCORO”公式サイト

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2013/06/10

被災地の今

被災地の復興、それは地域による格差がとてもあります。
沿岸部は特に復興が遅く、仮設住宅を出た後の住む場所もほぼ白紙状態。
震災から2年以上経過していますが、
陸前高田市内だけで40カ所以上の仮設地域があり、
将来への強い不安、苛立ちで精神的にはいっぱいいっぱい、
というのが現地の本音です。

DSC08067.jpg
(住宅の基礎部分だけが残り、そこに草花が生い茂っています。場所:気仙沼市内)

前回の記事でも書いた “第二の虚脱感、喪失感”
それは写真を見比べると少し想像できるかもしれません。
下記3枚は2011年9月13日に活動した時の写真。

20110913陸前高田市内 (24)
(2011.9.13 陸前高田市内 アロマボランティアCocoro第三回目の活動写真)

当時は半年経っていても、まだ折れた電柱が転がっていたり、
まだ冷凍食品が入ったままの冷蔵庫があったり、子供のレゴがあったり・・・。
そこに人が住んでいたこと、たくさんの命があったことを容易に想像できました。

20110913陸前高田市内 (19)
(2011.9.13 陸前高田市内 アロマボランティアCocoro第三回目の活動写真)

この体育館は当初の避難所だったのですが、
第二波によって100名以上の方が流され多くの方が犠牲となりました。
地元の方々はこの場所を基準に、
あそこにはスーパーがあったとか、ここがこうだったとか、
忘れ行く元の街の姿の記憶を紡いでいました。

20110913陸前高田市内 (36)
(2011.9.13 陸前高田市内 アロマボランティアCocoro第三回目の活動写真)

「瓦礫を早く片付けてほしい。」これまでは一つの大きな要望でした。
ですが、それが実際に片付いて行くと・・・・
そこはまるで何もなかったような野原になってしまいました。
 “第二の喪失感” “第二の虚脱感”
目印もなくなり、一体どこになにがあったのか思い出せないことへの悲しみ、
故郷が跡形もなく消えてしまったことへの落胆、
津波以来、こんな気持ちは二度目だと話される方が多くいました。
次の写真は上記の体育館のあった場所を違う角度から撮影しています。 
体育館や大きな建物が撤去されたことで、
いかにそこに街があったことを想像するのが難しいかが伝わるでしょうか。

DSC08228.jpg

ぐちゃぐちゃだった瓦礫は今、あちこちにまとめられています。

DSC08425_20130610013139.jpg

工事車両は朝7時代から行き交い、復興作業者の方々で地元の民宿は今もいっぱい。
私たちが泊まった宿も3月から予約をしましたが、
現時点で9月末まですでに予約でいっぱいだそうです。
現地にボランティアで入る難しさもやはり続いています。

DSC08411.jpg

爪痕は至る所に見てとれますが、
ここに大きな街があったことは想像しがたいのが現状です。
現地では“語りべ”という方々がいて、現状を語り継ぐツアーをしている方々もいます。
社員研修でそれを受けに来ている会社もありました。

DSC08419.jpg
(ホテルキャピタルも取り壊されていました。インターネットでホテル名を検索すれば取り壊し前が出てくるはず。)

昨年Cocoroメンバーで陸前高田市戸羽市長と面会させて頂いた時、
できるだけ地元のものを使ってほしい、とおっしゃっていたのが心に残っていて、
到着時の昼食はあえて各自持参ではなく、現地のラーメン屋さんにしました。

DSC08081.jpg

とっても美味しくて、それでいて量もたっぷり! 
腹ごしらえしてからスタートしました。
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